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東京高等裁判所 昭和56年(ラ)1128号 決定 1982年2月03日

抗告人 保土ケ谷税務署長 中里恒曠

相手方 安田秀夫

主文

原決定を取り消す。

本件文書提出命令の申立てを却下する。

本件手続費用は、原審及び当審を通じて、相手方の負担とする。

理由

本件抗告の理由は、別紙抗告理由書記載のとおりである。

これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

本件申立は、記録によると、横浜地方裁判所昭和五二年(タ)第三九号養子縁組無効等請求事件の訴訟追行において、原告である相手方が抗告人の所持にかかる原決定添附目録に掲げる各文書に対する提出命令を、民訴法三一二条二号の規定に基づいて求めるというのであるから、その提出義務の原因は、相手方が抗告人に対して本件文書の引渡又は閲覧を求める私法上の権利を有することが要件であると解すべきである。

本件文書は、相続税申告書及びその修正申告書等であつて、相手方ほか八名の相続税納付義務者が相続税法に基づいてその納税地の所轄税務署長である抗告人に対して提出した申告書等で抗告人の所持に帰したものと記録上認められるから、相手方が本件文書の作成ないし提出に関与した者であるからといつて、税法上の文書の交付又は閲覧(もとより私法上のものではない。)は格別、当然に私法上の権利としてその引渡・閲覧の請求権を有するものではないというべきである。ほかに本件文書が民訴法三一二条二号の文書提出義務の要件を充たすものであることを認めるに足る疎明資料はさらにない。したがつて、本件申立は理由がないから却下すべきである。原決定には所論(抗告理由二)の違法があり、論旨は理由があるから、その余の点につき判断するまでもなく、原決定は取消しを免れないものというべきである。

よつて、原決定を不当として取り消し、本件文書提出命令申立を却下することとし、本件手続費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 中川幹郎 真栄田哲 木下重康)

抗告理由書

抗告の理由

一 民事訴訟法三一一条、三一二条にいう「文書ノ所持者」には第三者たる官庁、公署は含まれないから、本件本案訴訟について第三者たる官庁である抗告人を所持人として文書の提出を命じた原決定には同法三一一条、三一二条の解釈適用の誤りがある。

民事訴訟法は、三一二条に規定する文書提出命令の効果について、三一八条を設けており、同条によれば第三者が右命令に従わない場合は、裁判所は当該第三者に過料の制裁を科することとしているが、右第三者が官庁、公署である場合においては右規定を適用する余地はないのである。すなわち過料は国又は公共団体が私人・私法人の各種の義務違反に対してこれを科するものであり、国又は公共団体は過料の客体になりえないのみならず、仮に抗告人の如き官庁にこれを科した場合を想定するならそもそも官庁は国庫の主体ではないから、その支払いをすることは不可能であるので、このことからも右は見易い道理といえよう。そして、民事訴訟法は書証の提出方法として三一九条(文書送付嘱託)を規定しているのであるから、同法がこれとは別に不提出に対する制裁を伴わない文書提出命令をも予定したと考えることは到底できないところである。したがつて、同法三一一条、三一二条にいう「文書ノ所持者」には第三者たる官庁又は公署は含まれないことは明らかである(注解民事訴訟法(5) 一九三ページ)。

本件についてこれをみるに、原決定が本件本案事件の当事者でない抗告人を文書の所持者としてその提出を命じていることは明らかであるから、原決定には民事訴訟法三一一条、三一二条の解釈適用を誤つた違法がある。

二 原決定は、前記文書目録記載の文書はいずれも被抗告人が抗告人に対し閲覧を求めることができるものであるから民事訴訟法三一二条二号に該当する文書であると判断しているが、右判断には次のとおり、明らかな誤りがある。

民事訴訟法三一二条二号にいう「挙証者カ文書ノ所持者ニ対シ其ノ閲覧ヲ求ムルコトヲ得ルトキ」とは、挙証者が文書の所持者に対し、私法上閲覧請求権を有する場合を指すものであるところ(兼子・民事訴訟法体系二七九ページ、注解民事訴訟法(5) 一九九ページ)、被抗告人が抗告人に対し前記文書目録記載の文書につき閲覧請求権を有する旨を規定した私法法規は存在しない(なお、同旨の公法法規も存在しない)し、抗告人が被抗告人に対し右文書の閲覧請求権を付与する旨の抗告人と被抗告人との間の契約ももちろん存在しないから、被抗告人が右文書について何ら、閲覧請求権を有しないことは明らかである。

また、前記文書目録記載の相続関係一件記録の中には内部的な自己使用文書が大部分を占めており、この自己使用文書については、被抗告人に所有権その他の権利はなく、被抗告人の作成・提出に係る文書又は被抗告人が作成・提出者のうちの一人である文書についてもその所有権はそれらが抗告人に提出された時点において抗告人(国)に移転すると解すべきであるから、被抗告人が所有権又は共有持分権に基づき右文書の閲覧を請求することができないことも明らかである。

三 原決定は、前記文書目録の一において「相続関係一件記録」を提出すべきものとしているが、これは提出命令の目的たる文書の特定を欠くものである。

民事訴訟法三一二条にいう「文書」とは、本件についていえば被抗告人のいう相続税申告書のように、文書の種別、作成者、作成日付、標題等によつて個別具体的に特定された文書をいうことは明らかであつて、仮に原決定のいうように被相続人安田幾太郎の相続に関する多数の文書が一括して編綴されていたとしても、その全体を一個の文書と解することは到底できないのである。学説が同法三一三条一号について「金銭消費貸借契約証書、土地明渡証書、売買契約書など文書の種別・作成者・作成日付・標題などによつて文書を特定するものである。(中略)文書が単独で存在しているものでなく、他の書類にあわせて綴じ込まれている場合であれば、その特定のためには、そのうちのどの部分であるかを表示することを要する。」(注解民事訴訟法(5) 二〇九ページ)としているのも右と同旨であり、仮に被抗告人が提出を求めているのが個々の文書ではなく、一体となつた「一件記録」であつたとしても、被抗告人の提出の求め方によつて「一件記録」が一つの文書と同一視されることとなるものではないのである。

また、原決定が前記文書目録の二において提出すべきものとしている文書にも、抗告人作成の内部的な自己使用文書が多くその作成者、作成日付、標題等によつて特定されてはいないのである。

したがつて、原決定には目的文書不特定の違法があるというべきである。

四 民事訴訟法三一二条による文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格を有するものであるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号の規定が類推適用され、したがつて、文書所持者に守秘義務のあるときは、文書所持者はその文書の提出義務を負わないものと解すべきである(名古屋地裁昭和五一年一月三〇日決定・判例時報八二二号四四ページ、東京高裁昭和五二年七月一日決定・判例タイムズ三六〇号一五二ページ)。

そして同法二七二条、二八一条一項一号の「職務上の秘密」に関する規定は、国家の秘密と訴訟上における真実発見の必要性との衡量に関して、国家の秘密を優先させることを定めたものであるから、「職務上の秘密」に属するか否か明らかでないため、裁判所が証人尋問の申出を採用した場合でも、証人は、尋問事項が「職務上の秘密」に関する理由を疎明して証言を拒むことができるのである。この疎明があれば、もはや証言の拒絶の当否について裁判所が裁判をする余地はなく(同法二八三条)、監督官庁に対し証人尋問の承認を求める手続を採らなければならない。

すなわち、尋問事項が「職務上の秘密」に関する事項かどうかの実質的な判断権は裁判所にはなく、その点の判断は承認を求められた監督官庁の自由な裁量に委ねられているのである(井口牧郎「公務員の証言拒絶と国公法一〇〇条」実務民事訴訟法講座三〇三ページ、三〇六ページ)。これは文書提出命令の場合についても同様であり、文書の記載内容が「職務上の秘密」に関する事項かどうかの判断権は当該文書の所持者にあといわなければならない。

ところで、前記文書目録記載の文書はいずれも被相続人安田幾太郎の相続に伴う相続税の賦課徴収に関する文書であり、その記載内容は被抗告人を含む共同相続人ら全員の秘密に属する事項であるから、抗告人は国家公務員法一〇〇条、相続税法七二条により右記載内容について守秘義務を負うのである。したがつて、抗告人は右文書について民事訴訟法三一二条による提出義務を負わないものというべきである。

なお、前記文書目録の一、二記載の文書中には抗告人の内部的意思決定手続中に作成された文書等内部的な自己使用の目的で作成された文書が多く、これらの文書が民事訴訟法三一二条二号に該当しないことはいうまでもなく、同条三号の文書にも該当しないことは判例・学説の認めるところである(東京高裁昭和五四年三月一九日決定・判例時報九二七号一九四ページ、東京高裁昭和五一年六月二九日決定・判例時報八二六号三八ページ、東京高裁昭和五二年三月九日決定・行裁例集二八巻三号一八九ページ、東京高裁昭和五二年七月一日決定・判例タイムズ三六〇号一五二ページ、東京高裁昭和五五年一月一八日決定・判例時報九五八号七一ページ等、注解民事訴訟法(5) 二〇三ページ)。

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